2009年2月15日日曜日

自燈明 法燈明 (後編)

(前回の続き)古い経文の言葉である、自燈明(じとうみょう)法燈明(ほうとうみょう)とは一体どういう意味か?山岡荘八著「伊達政宗」には次のように書かれています。

自燈明・・・自らを拠りどころとして、他人に頼りきらない姿勢
法燈明・・・まだ自分でこの世を照らす燈明を持っていない場合、法(法律ではなく天地の自然・宇宙の真実の事)を拠りどころに修行していく事でやがて、自分の燈明で周囲がよく見えるようになる。その為にも、足元を法燈明でよく見る勉強をしなさい、という事。

ちなみに、今から20年前の高校生の頃に読んだ頃は自燈明の意味は何となく理解できましたが、法燈明の意味はさっぱり分かりませんでした。今回読み直してみて、ようやく初めて法燈明の輪郭が少しだけ見えた思いがしました。それは私がアカデミーで中国の伝統手技である推拿療法を担当しているおかげかもしれません。

推拿療法のバックボーンは中国伝統医学(東洋医学)であり、その原点は中国の古代思想にあるといわれます。東洋医学には自然現象と人体に起こる現象を密接に結びつける発想があり、その事を「天人相応(てんじんそうおう)」といいます。もともと人間は天地自然の大生命につながる同じ根っこの生きものである、という天人相応の思想は、そのまま自燈明・法燈明と結びつくように思えてなりません。法燈明とは「自然界・世間に学びながら、自身を磨きなさい」という意味なのだと思うからです。

実は、私は子供の頃、「将来は歴史学者になりたい」とマジメに考えていた時期があります。ただ、それは子供特有の現実性のない夢でしたので、いつの間にかしぼんで消えてしまいました。

あれから20年以上の時が過ぎて、自分はリラクゼーションスクールの講師となり、推拿などの手技療法や知識を生徒さん達に日々教えています。ひょっとすると、私にとっての法燈明とは、アカデミーで過ごす生徒さん達との日常の事なのかもしれません。授業をしたり、笑いあったり、様々な事を話したり・・・。

まだまだ学ぶべき事が山積している私ですが、アカデミーでの毎日を糧に、いつかは自らを燈明として毎日を歩んでいきたい、と思うのです。

むらい

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